大人の見識

水口洋介さんが、「大人の見識 安重根をめぐる日韓の応酬について」(http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2013/11/post-82b9.html)で、次のように書かれています。 韓国が安重根の石碑を中国のハルピンに設置することを要請したことに対して、11月19日、菅義偉官房長官が「安重根は犯罪者である」と会見した。当時の日本政府から見れば、総理大臣でもあった伊藤博文(初代韓国統監)を暗殺したのだから、犯罪者でしょう。 当時の日本には、まだ「武士」の気風が残っていたのでしょう。結局、評価はどの立場から見るかということです。明治政府の朝鮮半島への侵略政策を批判的に見る立場からすれば、安重根は『救国の志士』です。伊藤博文も、若き日、倒幕、尊王攘夷を唱えて、幕府側の人間を暗殺し、英国公使館焼き討ちしました。幕府や英国から見れば、間違いなく犯罪者であり、テロリストです。でも倒幕尊王攘夷派から見れば「勤王の志士」です。 他人には、他人の都合がある。他国となれば他国の都合があり、いちいち目くじらをたてないというのが「大人の見識」というものです。 もちろん、朴大統領が暗殺事件の舞台であるハルピン駅に石碑を建設することを中国政府に要請したのは、中国との協調をはかるための外交的な布石ということでしょうし、韓国国内での支持を取り付けるための反日パフォーマンスという側面があることも事実でしょう。 でも、これに対して、菅官房長官のように、安重根を犯罪者呼ばわりするのは、大人げないだけでなく、愚策というべきでしょう。朴大統領の対日姿勢には韓国国内にも米国も批判的な声が広がっている言われています。そんな中、菅官房長官の発言は、韓国の世論全体を敵に回すだけでしょう。政治家として見識がない。 日本政府の官房長官としては、少なくとも私心なく命をかけて祖国(韓国)の独立を目指した人間であったことを認めて、それなりの敬意を表すべき時期に来ていると思います。それが大人の見識です。 仮に韓国ではなく中国を説得しようとしたら、官房長官はどのようなことを言えばいいのでしょうか?考えてみました。次のような発言はどうでしょうか。 暗殺された伊藤博文とハルピンのある中国の東北地方との関係を考えてみたい。 1904年、1905年の日露戦争中、日本軍は占領地域に軍政を敷いていました。ポーツマス条約が結ばれ、平和が回復したのちは、日本軍は撤退するべきでした。しかし、児玉源太郎などに率いられた陸軍は撤兵せず、軍政を継続しました。 これは内外から批判を招き、これに対処するため、西園寺首相は、1906年5月22日、満洲問題協議会を開催します。 この時、駐兵を続けることを主張する児玉参謀総長に対し、伊藤は次のように発言しました。 「児玉参謀総長らは満州における日本の位置を根本的に誤解しておらるる様である。満洲における日本の権利は、講和条約によって露国から譲り受けたもの以外は何物もないのである。(中略)満洲は我が国の属地ではない。純然たる清国領土の一部である。属地でもない場所にわが主権が行われる道理はない。」 この伊藤博文の意見に、西園寺首相、林外務大臣、山本前海軍大臣が同調し、最後には山縣が児玉を説得し、軍政の撤廃が決まりました。 さて、私も伊藤博文にならって申し上げたい。ハルピンは純然たる中国の一部であろる。そこに韓国がどのような石碑を立てるのを許そうと、中国の自由です。 しかし、中国が決定するにあたって、暗殺された伊藤博文が、あの時期において中国の主権を尊重し、陸軍を抑えてたたことも考慮されてはいかがかと思う。私は、もし、伊藤博文が暗殺されず、中国の主権を尊重しつつ、国益を追求するという路線が取られていたらその後の日中関係は違ったもの、より望ましいものになっていたのではないかと思っています。伊藤博文が暗殺されたことは非常に残念なことであったと思っています。 (2014年1月9日追記) このエントリーを書くために、次の書籍を参照しました。 岡崎久彦(1998)『小村寿太郎とその時代』 PHP研究所 山室信一(2004)『キメラ 満洲国の肖像』増補版 中公新書 伊藤之雄(2009)『山縣有朋 愚直な権力者の生涯』 文春新書 人気blogランキングでは「社会科学」の24位でした。今日も↓クリックをお願いします。 人気blogランキング