もじれる先生へのアマチュアの異見

本田先生の「しつこいぞ!」(http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/20051205)にコメント欄で、どのような賃金を望ましいものと考えていらしゃるのかお尋ねしたら、こんなお返事をいただきました。

「属人的要素がどうであろうと、同じ仕事をしていて同じぐらいできれば、単位労働時間あたり賃金は同じであるべきである。」

「同じぐらいできれば」という部分は、「単に可能なら」と読めないこともないのですが、多分、「実際に同じぐらいできていれば」という意味であろうと思われますので、そのように理解して、話を進めます。

このような賃金は基礎的なミクロ経済学のモデルでは、様々な条件が成立していることを前提にすれば、企業や労働者が、労働市場で自由な取引をすることにより実現されます。(同時に完全雇用も達成されます。)

どの労働者をとっても、限界生産力=賃金というのが、本田先生の考えていらっしゃるあるべき賃金の姿の経済学的表現ではないかと思います。基礎的なミクロ経済学のモデルでは、この「どの労働者をとっても、限界生産力=賃金」は自由な労働市場で達成されるとされています。

したがって、正規労働者と非典型労働者、男女など様々な賃金格差が、不合理なものであれば、それをなくすために政府がなすべきことは、先の「様々な前提条件」を成立させることと、自由な労働市場を成立させ、維持する事だけです。例えば、奴隷制度の廃止、強制労働の禁止、所有権の保護、職業選択の自由、居住地を決める自由の保障などです。多分、労働条件についての詐欺の禁止も含まれると思います。それ以外の賃金の規制や介入は不要、あるいは有害です。

そこで、このモデルに従えば、政府が正規労働者についてだけ「雇用保護規制(特に解雇規制)」を行い、非正規労働者についてほとんど行わなければ、正規労働者と非正規労働者の賃金の均等が実現しないと言うことになります。本田先生があるべきだとされる賃金が実現されなくなるのです。

では、そのような雇用保護法制をなくすことにより、問題が解決するかというと、どうもそうではないようです。

その理由の第一はこうです。雇用保護法制をなくすことにより、基礎的なミクロ経済学のモデルに限りなく近い世界を実現できたとすると、そこには「正規労働者(長期の雇用保障を持つもの)」がいません。すべて雇用保障のない労働者、つまり通常言われている非正規労働者しかいないのです。なぜなら、基礎的なミクロ経済学のモデルでは、暗黙の内に比較的短期間を取って、その期間毎に、限界生産力=賃金が成立すると仮定しているからです。(この点は、プロの方から見れば間違っているかもしれません。)

したがって、そのような世界では、正規労働者と非正規労働者の均衡が達成されて問題が解決されるのではなく、誠意労働者の存在をなくすことによって、「正規労働者と非正規労働者の均衡」という問題自体がなくなってしまっているのです。

第二の理由は、雇用保護法制をなくすことによっては、基礎的なミクロ経済学のモデルに限りなく近い世界を実現できそうもないということです。

ある種の職業、職種では長期雇用には、労使ともにそれなりのメリットがあることは、労働経済学では広く認められています。実際、長期雇用に仕組みそのものは戦前に遡ります。正規労働者の雇用保護法制があったから長期雇用ができたわけではありません。したがって、このような法制をなくしても、長期雇用の正規労働者がいなくなる訳ではありません。(数、あるいは労働者に占める正規労働者の割合が減るという可能性はあると思います。)

では、雇用保護法制の撤廃からさらに進んで、このような契約を禁止するかとなると、これは現在の憲法の下ではおそらく無理でしょう。公共の福祉に反さない限り、契約を自由に結んでいいというのが、現在の憲法の大原則だからです。

では長期雇用をなくせないと、本田先生が望ましいとされる賃金は実現できないのか?多分できないでしょう。なぜなら、長期雇用では、そのときどきの賃金と仕事が対応していないのが普通だからです。同じ仕事をしている正規労働者間でさえ、賃金に差ができます。したがって、「属人的要素がどうであろうと、同じ仕事をしていて同じぐらいできれば、単位労働時間あたり賃金は同じ」にはならないのです。

では、長期雇用の存在を認めたまま賃金統制を実施するか?これも、正規労働者の「仕事の価値」を示す賃金が存在しない以上、実行不可能だと思います。

以上のように、本田先生の望まれるような賃金は、まず、実現しないと思います。別な目標を立てるべきではないでしょうか?

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